幸福度の低い国民
恵まれた環境に身を置きながら、どうして日本人は幸せを享受できないのか。
ネットを開けば、そこはカオスです。
街を歩けば、憂いた人たちばかりが目に留まります。
彼らの瞳は何処か虚ろで、なにが映っているのか分かりません。
仕事も市民権もあって、日本自体の治安も良いハズなのに、どうして国民は幸せを実感しないのでしょう?
どうして幸福度が低いのか?
その理由は、沢山の識者によって見解されています。
以下に、代表的な例を挙げてみましょう。
・他者との比較から劣等感を抱く
・資本主義(お金が第一!)
・社会による束縛(社畜道)
・知識不足(教育レベルが低い)
ググれば分かる通り、これは本当に一部でしかありません。
日本人という種族は人類学において非常に興味深い存在であり、あらゆる見地から「不幸せな日本人」をテーマとした分析・考察がされています。
人類学から心理学・神経科学は勿論のこと、伝染病学による論文もあるそうです。
伝染病……負のオーラによる感染拡大とか?
イタリア語だったので概要以外の翻訳は儘なりませんでしたが、恐らくそんな内容でしょう。
劣等感ばかり探す本国
とにかく、貯金大国と言われた本国では「お金持ち=幸せ」というイメージが強く定着しており、他者と比較しがちな日本人は収入の程度から劣等感に苛まれ易くなっているようです。
また、日本は集団主義なのでサラリーマン以外の人生には風当たりが強く、個人として自由に生きるのが難しい国でもあります。
結局、人は社畜となり権力を翳す上司から蔑まれる道を強制され、次第に負のオーラが全開になっては伝染していくという……(要検証)
アメリカやフランスと違い、日本の教育制度が戦後から進化していないのも問題と言われています。(主に外国人から)
知識が不足したまま社会に飛び出してしまうので、ハラスメントへの対処法や正社員以外の人生が分からず塞ぎ込んでしまう――という話でしょうか。なんとも悪循環なストーリーに見えます。
Hmm…
多くの観点からこんなにも問題点を指摘されているというのに、国は大学の無償化のことで頭がいっぱいのようです。
一体どうすれば、日本人は幸せを感じられるようになるのか?
これは、21世紀における最大の課題かもしれません。
道楽と裕福を同義だと思ってる?
「幸せに生きたいなら収入額を気にするな」これに尽きると思っています。
「うん。なんで君ら、誰とも知らん人間の年収額に劣等感なんか抱いてんの?
不毛でしょ。お疲れ様ですとしか言えねーよ」
裕福を試みて貯蓄を頑張ることを否定はしないけど、幸せなんてもっと簡単に手に入るものだということを啓蒙したいです。
勝ち組の定義
個人事業主としてフリーになる前、私は都会にて某大手スマホゲーム会社に勤めていました。当時はスマホゲームの最盛期だったので、私の収入も大企業の平均月給くらいありました。
基本給が既に28万円と高い上に、アプリ内インプレッション数に応じて歩合も発生していた次第です。また、仕事関係でラジオ局にもハシゴしていました。
年俸は、800万円以上ありました。
当時はアベノミクスも真っ只中で、日経先物による利益を合わせると年収はもっと多かったです。
恋人がいて、投資に成功していて収入も多く、社会からの評価も高い。
「勝ち組だな」
こんなことに優越感を抱いていた時期もありました。
…………
でも、大切なのは客観ではなく主観でしょう。
社会的体裁なんて、いまの僕にとってはゴミ以下の価値でしかありません。
それを再認識できた時、私はようやく自分の人生を見直しました。
ゆとりのないゆとり世代
「なんで、社会的人生の6/7を精神的苦痛で食い潰しているのだろうか?」
「そんなに頑張って、誰に認められたいと言うのだろうか?」
過労とストレスで嘔吐したことだってあります。
……冷静に振り返ってみると、自分は確実に負け犬でした。
人生を勝ち負けで判断する時点で終わってるけど、以前は本当に酷い生活を強いられていたんです。自分に。会社に。社会に。
だから、愚痴を零さずにはいられません。
そんで、荷物を片付けて退職&引っ越しをしました。詳しくは別記事。
日光のド田舎で新しい生活を始めた私です。(ライターとして独立したので、Wi-Fiの繋がる環境なら何処でも生きていけます)
それから現在にかけて、大自然に囲まれながら生きています。
都会の空気や景色・人混みを嫌っていた僕にとって、いまの生活が非常に気に入っています。
金を捨て、時間を選んだ
主観と客観の選択
なお、800万円だった僕の年収は、独立したことによって120万円に減っています。
800万円から120万円とは、これまた極端な話です。
フリーになったことで生活は不安定と化し、将来に需給される年金も正社員に比べて半分以下となります。
きっと、社会的に観ると私は負け組に転落したことになるのでしょう。
全ては自分次第
しかし、私の主観的意見はそう言ってません。
収入が急落した代わりに、私の1日における労働時間も当時と比べて1/4以下に減っています。大体1日に2~3時間ほどの労働です。
それ以外の時間を大自然の散歩や写真撮影、その他の趣味に費やしています。
ストレスは何一つありません。
本当に、一つとしてありません。
少なくとも、ここ1年間は「イラッ」としたことがありません。
あまり口にしないようにしてますが、現在の私は心から幸せを享受しています。
自分を勝ち組だと自惚れる気はないけど、どう見ても負け犬じゃないと思っています。
客観的には負け犬かも?
でも主観的にはそう思わない。
どちらが重要か、それは社会ではなく自分自身が決めるものです。
勿論、収入を第一とする考え方を否定したりはしません。
本稿で私が言いたかったのは、幸せにハードルを設ける必要性なんて全く無いということ。
もし収入に劣等感を抱いている方がいて、この記事で少しでも「そうか、その通りだよな」と気休めしてくれる人が居たら幸いです。
アンケート
アンケートを作ってみました。
あなたは、主観的幸せと客観的幸せのどちらを望みますか?
年収120万円の静穏
年収800万円の過労
ちなみに、月収10万円でも普通に恋人は作れます。
いまはいないけど、日光、四国で暮らしていた時はそれぞれ彼女がいました。
うん。確かに「年収〇〇万円以上」じゃないとダメ!などとほざく女は多いですが、それと同じくらい相手の年収に拘らない女性もいます。
……まあでも、それは私がまだ辛うじて20代だからかもしれません。
40代になっても同じ収入額で彼女が作れるのかって言われても答えかねます……orz
日本人が幸せになれない理由について、もう一つ重要な「交流の欠如」がありました。
これについても、あとで触れていきたいと思います。